2014年 06月 27日
「(略)ごくごく素朴に、信じている。この素朴さには根拠がない。けれど素朴で根拠のない信念こそは、強固なのだ」 2014年6月26日付けの朝日新聞「論壇時評」において、高橋源一郎氏が、赤坂真理氏の著作『愛と暴力の戦後とその後』について引用された箇所の、そのまた一部です。 今回、高橋氏が論じられたテーマは、私自身、門外漢とはいえ、自分なりの考察を深めていきたいと思うところですが、今日の所、このテキストに心惹かれたのは、別の理由からです。 「(略)ごくごく素朴に、信じている。この素朴さには根拠がない。けれど素朴で根拠のない信念こそは、強固なのだ」 私が右脚をおいている色彩の世界にも、似たような信念らしきものが存在しています。 それは「色は学ぶものではない」という信念らしきものです。 特にそれは「カラーコーディネート理論を教えています」と言ったときに、顕著に感じられます。 「えっ? 色って学ぶものなの??」 実際に、こう言われたことも数えればきりがありません。 最近では、就職対策からなのか、色彩関連の各種検定受検に対し、デザイン系の学科でも積極的な取り組みをされるところも増えたために、このような声は随分と少なくなりましたが、制作系の先生方の真意は変わっていないだろうな…と思っています。 特に、芸術系出身の方ほど、この傾向が強いのです。色彩は芸術には欠かせない要素ですから、「芸術を理屈で語ってくれるな!」というところなのか、はたまた「学力によってではなく、絶対的な力のような何かに支持されている」と思われたいのか、図画工作ならびに美術で「4ときどき5」で終わった私には、わかる由もありません。 私自身、何もそのような方々がご専門とされる領域に土足で立ち入るつもりなど毛頭なく、ただただ「集合的な知識としての、配色理論やカラーイメージ理論は、共通認識を築き上げていく礎のようなもので、活用する意義は大いにある」と認識しています。けれども、なんど反撃をくらったことか。。。。。 駆け出し当初は上手に応対することができずに、けんか腰の口調になるか、はたまた大の作家嫌いになるかのどちらかで、飲み干したやけ酒は計り知れず(笑) 幸いに、今では相手の発話プロセスを追いかけながら聴いていますから、腹をたてることもありません(笑い)。私が左脚をおいているセラピストのトレーニングが多いに役立っています。 あくまで「礎」なのです。で、スコアでいえば、B+からA-あたり。 けれども、カラーセンスに自信がない人であっても、しっかりと理論を学ぶことによって、75点から83点あたりのスコアは修められるようになるということです。 これにより「何となく…」ではなく「このような考えによって…」となるわけです。 A-(83点)としたのは、90点以上となると、それ以外の要因も必要とされるため、ひとまとめにAとしては、いささか乱暴で誤解を招きますからね。 で、そんな葛藤の日々に差し込んだ光がこれ。 現役デザイナーの方の発言には、重みがあります。助かります(笑) そうは言っても… 依然として異論を唱えたそうな、先生方の顔が浮かびます。 お酒の席で、この本についての所感を伺いたいところですが、けんかを売るようなものなのかな…と思って躊躇しているのです。
by kitoaiko
| 2014-06-27 18:35
| 我ガ猫戯レ事
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